| 11月のDJ |

矢野貴久子さん |
| フリー編集者として多数の女性誌で活躍後、働く女性にとって「本当に役立つメディア」をめざし、1999年11月、株式会社カフェグローブ・ドット・コムを設立。同年12月、ネットメディア『カフェグローブ・ドット・コム』を立ち上げ、代表取締役に就任、経営全般を担う。現在は月間総ページビュー800万の人気サイトに成長。女性企業家の代表として、各方面から注目を浴びている。 |
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| 11月1日 第31回目O.A. |
11月のマンスリーDJは、株式会社カフェグローブ・ドット・コム 代表取締役の『矢野貴久子』さんです!第1回目となる11月1日O.A.では「出発点となった編集者時代」と「人生のターニングポイント」についてお話しいただきました。
出発点となった編集者時代
私、矢野貴久子のキャリアの出発点は、雑誌の編集でした。なぜ雑誌の編集かというと、もともと舞台演出の仕事がしたかったんです。本当に素晴らしい仕事だなと思っていたのですが、日本ではなかなか舞台演出は狭き門でもありますし、ちゃんと食べていけないのではという心配もありました。短大卒業後、どうしようかと思っていた時に、日経BP社で臨時職員を募集していて、そこが出発点となりました。出版社にいて思ったことは、最先端の情報が集まっていて、それをわかりやすく紙面の上で展開して、あぁ、これは舞台の仕事に似ているなと。普通はかなりきちんとプロとして編集者として活躍している方がフリーになるというプロセスですが、私の場合はいきなり1年ぐらいでフリーになると宣言して、そうなりました。その結果、「何だ、こいつ、使えないじゃん」ということに。本当に、「じゃあ、矢野、絵コンテをかいてみろ」と言われて、「絵コンテって何ですか」という世界だったので、本当に当時の皆さんにはご迷惑をおかけして「本当に使えないやつだな。おまえ、何しに来ているんだ」と毎日のように言われても、それでもやりたかったんですね。
そんなこんなで、とにかく毎日行っては何か雑用を見つける毎日でしたが、ある時フリーのライターの方が声を掛けてくださって「矢野さん、この仕事は慣れだから、3年やったら誰でもできるから。その先はそれぞれの努力かもしれないけれども、慣れの部分って大きいからね」と。それが本当にうれしくて、それを素直に信じて、じゃあ、とにかく頼むから来ないでくれと言われるまでは3年、石にかじりついてでもやってやろうと思ったんですね。
それで1年半ぐらいたって、何かあるとき、ふと、あぁ、私ってすごい思い込みで仕事をしていたかもと。何か、こうあらねばならないとガチガチになって仕事をしていたような気がしていたのが、何かのきっかけで吹っ切れました。もっと自分が楽しく思えることを書いていけばいいんだということに気が付いたら、なぜかすごく楽になって、周りの方々にも「矢野ちゃん、成長したじゃん。原稿を書けるようになったね。」と言われるようになりました。もちろんまだまだ使いものにならなかったんですが、やっぱり本当に3年で自分が楽しく、あとはこういうテーマだから矢野ならできるだろうと仕事を振っていただけるようになり、やっぱり3年って本当にそうだったなと。それがフリー時代でした。なので、ある意味苦労したこともたくさんありますが、私にとっては、そういう修行をさせていただいたことが本当にありがたく、勉強の場となりました。とにかく、その時は紙面上で、いかに読者の方々を釘付けにするか、編集長に「よかったぞ」と言われるように頑張っていましたね。
人生のターニングポイント
フリーのエディターとして3〜4年ほど仕事をした後、迷いが生じました。医学部を目指したこともありましたが、そこでターニングポイントが訪れました。ある仕事の話が飛び込んできたのです。
それは創刊から関わっていた『Oggi(オッジ)』という女性誌で、あるインタビューをやらないかというものでした。そのインタビューは、テーマが「世界で働く日本人女性」というもので、世界で活躍していらっしゃる同世代の20代、30代の日本人女性をインタビューして歩くというものでした。このテーマを今の年齢でやるということに大きな意味があるんじゃないかなと思いました。かなり思い入れ深くやらせていただいたテーマでした。途中で『Domani(ドマーニ)』という雑誌の「国際結婚」というテーマも加わり、数年で40数名の方にインタビューをして歩きました。大体2ヵ月から2ヵ月半に1度ぐらい海外に出て3〜4人の方に取材をするという感じでした。その中でいろいろな方々にお会いしたのですが、例えば、当時ロンドンでお仕事をされていたエコノミストの浜矩子さんは今でもカフェグローブに書いてくださっていたり、今につながる出会いもたくさんありました。ハワイ州でエイズの予防プログラムに関わっていらっしゃる女性、アメリカの共和党の上院予算委員会のスタッフ、パリでジュエリーデザイナーをやっていらっしゃる方、本当にいろいろな職業の方にいろいろな国で取材をさせていただきました。取材をはじめて間もなく、本当にショックを受けたことがありました。何がショックだったかというと、日本を飛び出して世界で働いている方々のメンタリティーというか、心の持ち方、生き方に対してです。何てきちんとしているというか、成熟しているのかと。
例えば、日本を出るということ自体、外国で外国語を使って暮らすということですから、ビザの問題もあれば、いろいろな差別の問題もあり、「言葉がわかればわかるほど差別感を感じることもあるのよ」とおっしゃった方もいらっしゃいましたし、とにかく生きにくい部分はたくさんあったと思います。それに負けずに、どんどん邁進されていた方々であるということ。日本以外のどの国も必ずと言っていいほど、政治的にも経済的にもといいますか、何かしらの緊張関係を持っているところがほとんどであって、逆に日本はどうしてこんなに平和なんだろう、こんなに選挙にも行かずにのほほんと暮らしていても何の問題もない国はないんじゃないかと思いました。例えば、アジアであれば韓国と北朝鮮との関係であったり、中国と香港、台湾の関係であったり、香港もまだ返還前でした。シンガポールであれば大国に囲まれて、いかに頭脳で勝負していくか。ヨーロッパであれば南北の経済格差があり、社会情勢に敏感でなければ本当に怖くて生きていけないというくらいの緊張感を皆さん持たれていました。
その時にすごく感じたのは、その方々と話していると、仕事のこと、恋愛のこと、同じレベルで政治や経済の話がぼんぼんと出てきていて、これがかなりカルチャーショックでした。私が日本にいる時、女性同士でカフェに入って、当時の首相だと「森さんの言っていることはさ」ということがあったかというと、皆無でした。多少ボーイフレンドとそういう話をしたような気がしないでもないですが、そんなことと無関心でも全く問題なかった。こんなでいいんだろうかというのが第1の疑問でした。
それでも成り立っているということ自体が、日本という国の特徴なのかなとも思いましたが、これからのグローバル時代にこんな状態ではどんどん取り残されていっちゃうんじゃないかというような危機感もありました。でも、興味を持って突き進んでいかないと、それが楽しいと思えないなということもまた真実で、いきなり『日経新聞』を読むということよりも、どうやったら皆さんが興味を持ってくれるのかという、自然とメディア側の視点に立つようになってきました。というわけで、このインタビューの仕事が、結局は医学の道に進まず、後にカフェグローブ・ドット・コムを設立することにつながったと言えると思います。そういう意味では、とても思い出深く、私のターニングポイントとなった仕事でもありました。
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